視覚障がいのある吉田良二さんは大学在学中の就職活動で、100社近くの採用試験を受けたが、すべて断られた。それでも働きたいという思いを持ち続け、2003年4月、ワタミに入社した。現在は人事部で障がい者雇用を担当している。吉田さんは6月8日、慶應義塾大学商学部の中島隆信教授の授業「障害者の経済学」で、ワタミの障がい者雇用について講演した。その模様を報告する。(オルタナ副編集長=吉田広子)

ワタミ人事部で障がい者雇用を担当する吉田良二さん。先天性の視覚障がいを持つ。点字ノートを使いながら講演した

専門教育を受けた配慮ある先生、点字の教科書、理科の実験で使う音声式温度計、同じ障がいを持つ気の合う友人――。

「盲学校という快適な環境のなかで、不自由なく暮らしていました。でも、盲学校の外にはどんな世界があるのか。本当の社会を知りたかったのです」

吉田さんは先天性の視覚障がいがあり、小中高校と盲学校に通った。

「高校2年生になると、閉鎖された空間にいるのではないかと考え始め、だんだん息苦しくなってきました。学校の外には広い世界がある。障がいに理解がない人ばかりかもしれない。それでも、もっと世の中のことが知りたい、広い海に出たいと思うようになりました」

同級生の多くは、高校に併設された、マッサージ指圧師や鍼灸師になるための学校に進むことを決めていた。そのなかで、吉田さんは一般の大学への進学を志す。

「高校2年生のときに、父親が他界し、母親は内心早く就職してほしいと考えていたと思います。専門学校に3年間通えば、確実に働けます。しかし、母親と4年後に必ず就職することを約束して、一般の大学に進学しました」

約20 年前の当時、大学のキャンパスはバリアフリーからはほど遠かった。視覚障がい者に初めて会う人も多い。印刷されたプリントが読めないので、周りにいる知らない人に声をかけると、読み上げてくれる人も、接し方が分からずに無視する人もいた。

「大変なことは多かったですが、大学に進学して良かった。どのように良い人間関係を築くのか、どうやって生きていくのかを学ぶ機会になりました」

 

100社から「不採用」通知

大学4年生になり、就職活動を始めると、いきなり苦境に立たされた。

「当時は、一流企業に入れば幸せになれる、将来が保障されている、友人や家族にも自慢できる――と考えていました。きっと本気でやれば、内定一つはもらえるはず。ところが、約100社の試験を受け、いずれも不採用。電話で問い合わせした企業を含めると200社近くに上ります」

不採用の理由として「エレベーターに音声機能がないので働くことが難しい」「目が見えなければ電話応対も満足にできないのでは」といったことなどを挙げられた。

当然、吉田さんは落ち込んだ。「何のために働くのか、社会から必要とされているのだろうか。自分に生きる価値があるのだろうか」。そこまで思いつめた。

しかし、母親との約束もあり、あきらめるわけにはいかない。そうしたなかで、偶然、ワタミが主催したセミナーに参加することになった。

「働くとは『ありがとう』の気持ちを集め、人として成長していくこと。この話を聞いて、なるほどと思いました。当時のワタミは今ほど大きくもなく、正直なところ、飲食店に興味もなかったのです」

さらに、ワタミの面接担当者の言葉に心を動かされた。

「『障がいの有無は関係ない』『働きたいという思いと成長意欲、価値観に共感していることが大事』。この力強い言葉に勇気付けられました。それまで減点方式で不合格にされてきましたが、初めて自分を認めてもらえた気がしました。それから運よく内定をもらえ、ワタミで働くことになりました」

 

「できないことが言えない」

実際に働いてみると、さまざまな課題に直面した。例えば、電話応対。新卒採用の部署で、学生からの問い合わせが多かった。吉田さんは「どこにだれがいるのか分からず、問い合わせに応えられるのか、電話に出るのが怖かった」と言う。

だが、同僚の「失敗しても良いから、電話を受けてみて。何かあったらすぐにサポートするから」という言葉に背中を押された。実際に電話に出てみると、何の問題もなかったという。

入社1年目は議事録作成や会議の文字起こし、入社3年目には新卒採用の広告やメールマガジン作成を任せられるようになった。入社5年目になると、研究会の準備や企画、運営などまで担当するようになり、入社7年目でようやく念願の障がい者雇用の担当になった。

「順調に思われるかもしれませんが、困難も多く、学ぶことの多い7年間でした」と、吉田さんは振り返る。

「できない」と言えないもどかしさもあった。できないことを障がいのせいにはしたくない。「できない」と伝えたら、仕事がなくなるのでないか。

頭では「締め切りまで間に合いそうもない」と分かっていながら、上司には「締め切りまでに仕上げます」と約束してしまっていた。当然、納期に遅れることが続き、仕事の評価は下がってくる。葛藤はあったが、できないとは言えなかった。

そんななか、上司と話し合うことになった。上司には、「目が見える、見えないに関係なく、人にはできることと、できないことがある。自分一人で仕事をしているわけではない。みんなで仕事をしていこう」と声を掛けられた。

吉田さんは「自分のなかにある壁を壊そう。必ず応援してくれる仲間がいる」と強く感じた。

 

障がい者は単なる「弱者」ではない

「私の夢は障がい者に対する世の中のイメージを変えること。『弱者』や『かわいそうな人』ではなく、社会で一人前に働く存在でありたいのです。バリアフリーも大事ですが、完全にはなくなりません。障がい者に必要なのは、自身がバリアを乗り越え、社会で生き抜く力を付けること。成長意欲と環境があれば無限大の可能性があるのです」

2013年4月に企業の法定雇用率が2.0%に引き上げられ、2016年1月に「障害者差別解消法」が施行されるなど、障がい者雇用を取り巻く環境は徐々に変化している。

現在、ワタミでは外食店舗や工場、本社オフィスなどで244人(法定雇用率では3.96%)が働いている。

吉田さんによると、障がい者雇用の秘訣は、会社、家族、支援機関の3者が連携することだという。さらに、本人が抱える悩みはもちろん、店長など受け入れる側の悩みにも真摯に対応していく。年に数回、懇親会を開催するなど交流も深めている。

吉田さんは「障がいの有無や程度、特性で判断するのではなく、働きたいという意欲のある方をできるだけ多く、そして、できるだけ長く働いていけるよう、環境を整えたい。人事担当者として、一人ひとりにとことん向き合っていきたい」と力を込めた。

オルタナ 2017年6月19日掲載 http://www.alterna.co.jp/21619

https://hatarakuba.com/wp-content/uploads/2017/08/8b680eaaf9b1b5d30cedf16ff2d52de3-530x324.jpghttps://hatarakuba.com/wp-content/uploads/2017/08/8b680eaaf9b1b5d30cedf16ff2d52de3-530x324-150x150.jpghatarakubaオルタナ進化する組織視覚障がいのある吉田良二さんは大学在学中の就職活動で、100社近くの採用試験を受けたが、すべて断られた。それでも働きたいという思いを持ち続け、2003年4月、ワタミに入社した。現在は人事部で障がい者雇用を担当している。吉田さんは6月8日、慶應義塾大学商学部の中島隆信教授の授業「障害者の経済学」で、ワタミの障がい者雇用について講演した。その模様を報告する。(オルタナ副編集長=吉田広子) ワタミ人事部で障がい者雇用を担当する吉田良二さん。先天性の視覚障がいを持つ。点字ノートを使いながら講演した 専門教育を受けた配慮ある先生、点字の教科書、理科の実験で使う音声式温度計、同じ障がいを持つ気の合う友人――。 「盲学校という快適な環境のなかで、不自由なく暮らしていました。でも、盲学校の外にはどんな世界があるのか。本当の社会を知りたかったのです」 吉田さんは先天性の視覚障がいがあり、小中高校と盲学校に通った。 「高校2年生になると、閉鎖された空間にいるのではないかと考え始め、だんだん息苦しくなってきました。学校の外には広い世界がある。障がいに理解がない人ばかりかもしれない。それでも、もっと世の中のことが知りたい、広い海に出たいと思うようになりました」 同級生の多くは、高校に併設された、マッサージ指圧師や鍼灸師になるための学校に進むことを決めていた。そのなかで、吉田さんは一般の大学への進学を志す。 「高校2年生のときに、父親が他界し、母親は内心早く就職してほしいと考えていたと思います。専門学校に3年間通えば、確実に働けます。しかし、母親と4年後に必ず就職することを約束して、一般の大学に進学しました」 約20 年前の当時、大学のキャンパスはバリアフリーからはほど遠かった。視覚障がい者に初めて会う人も多い。印刷されたプリントが読めないので、周りにいる知らない人に声をかけると、読み上げてくれる人も、接し方が分からずに無視する人もいた。 「大変なことは多かったですが、大学に進学して良かった。どのように良い人間関係を築くのか、どうやって生きていくのかを学ぶ機会になりました」   ■100社から「不採用」通知 大学4年生になり、就職活動を始めると、いきなり苦境に立たされた。 「当時は、一流企業に入れば幸せになれる、将来が保障されている、友人や家族にも自慢できる――と考えていました。きっと本気でやれば、内定一つはもらえるはず。ところが、約100社の試験を受け、いずれも不採用。電話で問い合わせした企業を含めると200社近くに上ります」 不採用の理由として「エレベーターに音声機能がないので働くことが難しい」「目が見えなければ電話応対も満足にできないのでは」といったことなどを挙げられた。 当然、吉田さんは落ち込んだ。「何のために働くのか、社会から必要とされているのだろうか。自分に生きる価値があるのだろうか」。そこまで思いつめた。 しかし、母親との約束もあり、あきらめるわけにはいかない。そうしたなかで、偶然、ワタミが主催したセミナーに参加することになった。 「働くとは『ありがとう』の気持ちを集め、人として成長していくこと。この話を聞いて、なるほどと思いました。当時のワタミは今ほど大きくもなく、正直なところ、飲食店に興味もなかったのです」 さらに、ワタミの面接担当者の言葉に心を動かされた。 「『障がいの有無は関係ない』『働きたいという思いと成長意欲、価値観に共感していることが大事』。この力強い言葉に勇気付けられました。それまで減点方式で不合格にされてきましたが、初めて自分を認めてもらえた気がしました。それから運よく内定をもらえ、ワタミで働くことになりました」   ■「できないことが言えない」 実際に働いてみると、さまざまな課題に直面した。例えば、電話応対。新卒採用の部署で、学生からの問い合わせが多かった。吉田さんは「どこにだれがいるのか分からず、問い合わせに応えられるのか、電話に出るのが怖かった」と言う。 だが、同僚の「失敗しても良いから、電話を受けてみて。何かあったらすぐにサポートするから」という言葉に背中を押された。実際に電話に出てみると、何の問題もなかったという。 入社1年目は議事録作成や会議の文字起こし、入社3年目には新卒採用の広告やメールマガジン作成を任せられるようになった。入社5年目になると、研究会の準備や企画、運営などまで担当するようになり、入社7年目でようやく念願の障がい者雇用の担当になった。 「順調に思われるかもしれませんが、困難も多く、学ぶことの多い7年間でした」と、吉田さんは振り返る。 「できない」と言えないもどかしさもあった。できないことを障がいのせいにはしたくない。「できない」と伝えたら、仕事がなくなるのでないか。 頭では「締め切りまで間に合いそうもない」と分かっていながら、上司には「締め切りまでに仕上げます」と約束してしまっていた。当然、納期に遅れることが続き、仕事の評価は下がってくる。葛藤はあったが、できないとは言えなかった。 そんななか、上司と話し合うことになった。上司には、「目が見える、見えないに関係なく、人にはできることと、できないことがある。自分一人で仕事をしているわけではない。みんなで仕事をしていこう」と声を掛けられた。 吉田さんは「自分のなかにある壁を壊そう。必ず応援してくれる仲間がいる」と強く感じた。   ■障がい者は単なる「弱者」ではない 「私の夢は障がい者に対する世の中のイメージを変えること。『弱者』や『かわいそうな人』ではなく、社会で一人前に働く存在でありたいのです。バリアフリーも大事ですが、完全にはなくなりません。障がい者に必要なのは、自身がバリアを乗り越え、社会で生き抜く力を付けること。成長意欲と環境があれば無限大の可能性があるのです」 2013年4月に企業の法定雇用率が2.0%に引き上げられ、2016年1月に「障害者差別解消法」が施行されるなど、障がい者雇用を取り巻く環境は徐々に変化している。 現在、ワタミでは外食店舗や工場、本社オフィスなどで244人(法定雇用率では3.96%)が働いている。 吉田さんによると、障がい者雇用の秘訣は、会社、家族、支援機関の3者が連携することだという。さらに、本人が抱える悩みはもちろん、店長など受け入れる側の悩みにも真摯に対応していく。年に数回、懇親会を開催するなど交流も深めている。 吉田さんは「障がいの有無や程度、特性で判断するのではなく、働きたいという意欲のある方をできるだけ多く、そして、できるだけ長く働いていけるよう、環境を整えたい。人事担当者として、一人ひとりにとことん向き合っていきたい」と力を込めた。 オルタナ 2017年6月19日掲載 http://www.alterna.co.jp/21619下町の農と食で地域をつなぐ