フランスにてwwoof(有機農家さんで住み込み生活をさせてもらえるシステム)をしている中で最もよく考えさせられるのがこの話題。
「人は何のために働くのだろうか」ということ。

さかのぼること半年前。5~6月の二か月間、民泊をされている農家さんにお世話になっていました。

事の起こりは、お昼の議題。
ベルナデット(ホスト)曰く「休みの日に家にこもっている人もいるけど、私は山に出かけたり自然公園に行ったりしたいわ!」
ファンムク(オランダ人のwwoofer)「私も!土日に家に居続けるのは私は退屈」
私「同感だけど、家にいたい人の気持ちもわかるなあ」

といった内容からスタート。
ワーホリでフランスに来る前、私は都内のホテルで朝から晩までみっちり働いていた期間があり、それはそれはもう思い出したくないほどに。週に一回休みがあればいいほうで(私はお金を貯めたかったからいいのですが、そこで普段働いている方ですらそうなのです)、月4回休めたらラッキー、みたいな感じでした。
そんな働き方をしていると、たまの休みは、何もしたくない。ただただ寝ていたい。気のすむまで寝て、だらだら一日を過ごして、あっという間に休みは終わり、翌日の出勤時間は早いから夜は早めに寝る。
そんな時間を半年くらい過ごしていました。

今思い出してみても、私は決してあの仕事は嫌いではありません。むしろ楽しかった。
できないことはたくさんあったけど、出勤すればするほど職場の人に顔を覚えてもらえて、仕事も少しずつ覚えて、任されることも少しずつ増えて、「自分の頑張りがダイレクトに成長につながる」「人に認めてもらえる」職場でした。
やりがいがあった。つらいことよりも、「がんばってるね」「次はリーダー任せても大丈夫だね」と言ってもらえることが嬉しくて、個人的にはものすごく興味深い職場環境でした。

ただ…。

みんなと話してふと思ったのです。もし私があの職場で働き続けたとして。
みんなに認められる立場になって、職場のみんなに尊敬されて、お客様のために日々サービス精神をもって接し、自分の仕事に誇りをもって働く。
そして、引退する。いつかは。
そしたら、私には何が残る?土日も返上して仕事のために生きて、成果を残したとして、でも人は仕事をいつかやめる。
そしたら、いったい私には何が残るんだ???
今までずっと、「何をして働きたいか」ということばかり考えていました。こんなことがしたい、あんなことがしたい、”好き”を仕事にしたい。
でも、本当に考えなければいけないことは、実は「どんな生き方をしたいか」ということではないんだろうか。

豊かな人。豊かな人生。その定義っていったい何なんだろう。

はたして私は将来どんな人でいたいんだろう?
どんな生き方をしていたいんだろう?

ある講義で、「30歳の時の自分を思い描いて、そのために今どんな会社に入ったらそれが実現できるか考えてみましょう」という内容の議題があったけど、会社に入っても、いつか私たちは会社を辞める。
30歳の自分がどうなっていたいかということは、60歳の自分がどうなっていたいかということを先に考えたほうがいいんじゃないかな?それとこれとは違う次元の話か…。

何のために人は働くんだろうか。
家族のため?
子供のため?
お金のため?
夢のため?
解決したい問題のため?

家族や子供を養うために働いたら、きっといつか子供が巣立ったたら、目的を失ってしまう。

お金のために働いたら、うーん。そのお金は一体何に使うのかによる。でもきっと、お金はあればあるほどに、もっと欲してしまうものだろう。多くの人は貯金する(老後のため?)とか、娯楽に使ったり、あとは募金や支援金だったりなんだろうか。どんなにお金があっても、心が満たされなかったら、むなしいなあ。

夢のため。これは私の働く理由に最も近かったもの。こんなことやりたい!というもののために働く。もしくは、それを仕事にする。これが自分の働く理由だと思っていたけど、それって本当にそれでいいのだろうか。

解決したい問題のため。これもわかる。世の中には解決すべき問題がごろごろ転がっていて、誰かがそれをやらなければ状況は変わらない。この理由の最大の難点は、その問題が多すぎて、いったい何から手を付ければいいのか私はさっぱりわからないということ。解決すべきことは星の数ほどあって、どれも興味があるけど、私がかかわれるのはそのごくごく一部だけだということ。

考えれば考えるほどに、わからなくなっていく。

少なくとも、退職したら何もない。っていう人生はなんか嫌だなあ…。生涯生きる喜びを人と分かち合っていたいなあ。
一体人は何のために働くのだろうか。いつも自分自身に問う質問であり、答えはなかなか見つからないものである。
作成者 

小保内 瞳(フランスWWOOFライフを送る日本人農業女子大生)
有限会社人事・労務 インターンシップ

https://hatarakuba.com/wp-content/uploads/2017/01/obonai.jpghttps://hatarakuba.com/wp-content/uploads/2017/01/obonai-150x150.jpghatarakuba都市とローカルをつなぐ農業フランスにてwwoof(有機農家さんで住み込み生活をさせてもらえるシステム)をしている中で最もよく考えさせられるのがこの話題。 「人は何のために働くのだろうか」ということ。 さかのぼること半年前。5~6月の二か月間、民泊をされている農家さんにお世話になっていました。 事の起こりは、お昼の議題。 ベルナデット(ホスト)曰く「休みの日に家にこもっている人もいるけど、私は山に出かけたり自然公園に行ったりしたいわ!」 ファンムク(オランダ人のwwoofer)「私も!土日に家に居続けるのは私は退屈」 私「同感だけど、家にいたい人の気持ちもわかるなあ」 といった内容からスタート。 ワーホリでフランスに来る前、私は都内のホテルで朝から晩までみっちり働いていた期間があり、それはそれはもう思い出したくないほどに。週に一回休みがあればいいほうで(私はお金を貯めたかったからいいのですが、そこで普段働いている方ですらそうなのです)、月4回休めたらラッキー、みたいな感じでした。 そんな働き方をしていると、たまの休みは、何もしたくない。ただただ寝ていたい。気のすむまで寝て、だらだら一日を過ごして、あっという間に休みは終わり、翌日の出勤時間は早いから夜は早めに寝る。 そんな時間を半年くらい過ごしていました。 今思い出してみても、私は決してあの仕事は嫌いではありません。むしろ楽しかった。 できないことはたくさんあったけど、出勤すればするほど職場の人に顔を覚えてもらえて、仕事も少しずつ覚えて、任されることも少しずつ増えて、「自分の頑張りがダイレクトに成長につながる」「人に認めてもらえる」職場でした。 やりがいがあった。つらいことよりも、「がんばってるね」「次はリーダー任せても大丈夫だね」と言ってもらえることが嬉しくて、個人的にはものすごく興味深い職場環境でした。 ただ…。 みんなと話してふと思ったのです。もし私があの職場で働き続けたとして。 みんなに認められる立場になって、職場のみんなに尊敬されて、お客様のために日々サービス精神をもって接し、自分の仕事に誇りをもって働く。 そして、引退する。いつかは。 そしたら、私には何が残る?土日も返上して仕事のために生きて、成果を残したとして、でも人は仕事をいつかやめる。 そしたら、いったい私には何が残るんだ??? 今までずっと、「何をして働きたいか」ということばかり考えていました。こんなことがしたい、あんなことがしたい、”好き”を仕事にしたい。 でも、本当に考えなければいけないことは、実は「どんな生き方をしたいか」ということではないんだろうか。 豊かな人。豊かな人生。その定義っていったい何なんだろう。 はたして私は将来どんな人でいたいんだろう? どんな生き方をしていたいんだろう? ある講義で、「30歳の時の自分を思い描いて、そのために今どんな会社に入ったらそれが実現できるか考えてみましょう」という内容の議題があったけど、会社に入っても、いつか私たちは会社を辞める。 30歳の自分がどうなっていたいかということは、60歳の自分がどうなっていたいかということを先に考えたほうがいいんじゃないかな?それとこれとは違う次元の話か…。 何のために人は働くんだろうか。 家族のため? 子供のため? お金のため? 夢のため? 解決したい問題のため? 家族や子供を養うために働いたら、きっといつか子供が巣立ったたら、目的を失ってしまう。 お金のために働いたら、うーん。そのお金は一体何に使うのかによる。でもきっと、お金はあればあるほどに、もっと欲してしまうものだろう。多くの人は貯金する(老後のため?)とか、娯楽に使ったり、あとは募金や支援金だったりなんだろうか。どんなにお金があっても、心が満たされなかったら、むなしいなあ。 夢のため。これは私の働く理由に最も近かったもの。こんなことやりたい!というもののために働く。もしくは、それを仕事にする。これが自分の働く理由だと思っていたけど、それって本当にそれでいいのだろうか。 解決したい問題のため。これもわかる。世の中には解決すべき問題がごろごろ転がっていて、誰かがそれをやらなければ状況は変わらない。この理由の最大の難点は、その問題が多すぎて、いったい何から手を付ければいいのか私はさっぱりわからないということ。解決すべきことは星の数ほどあって、どれも興味があるけど、私がかかわれるのはそのごくごく一部だけだということ。 考えれば考えるほどに、わからなくなっていく。 少なくとも、退職したら何もない。っていう人生はなんか嫌だなあ…。生涯生きる喜びを人と分かち合っていたいなあ。 一体人は何のために働くのだろうか。いつも自分自身に問う質問であり、答えはなかなか見つからないものである。 作成者  小保内 瞳(フランスWWOOFライフを送る日本人農業女子大生) 有限会社人事・労務 インターンシップ下町の農と食で地域をつなぐ