日光街道143キロを5日間で踏破する日光街道まるっと学び舎プロジェクト。
初日、日本橋をスタートし、浅草でパネルディスカッションののち、徒歩行軍チームはゴールの越谷駅を目指し歩みを進める。
パネルディスカッションの様子はこちら ▼

まちあるきチームはかつて将軍が歩いた日光御成街道を辿って、駒込・王子周辺を散策。

日光御成街道は、日本橋から駒込、王子を抜けて、川口、岩槻方面に向かい、幸手で日光街道に合流する、将軍家が使っていた道。
駒込以東は農業も盛んで、岩槻方面から土物の野菜を持ち寄り江戸の人々に販売する「やっちゃ場」は、農家と江戸の人々で賑わっていた。

このエリアは、六義園や旧古河庭園などの日本庭園や、飛鳥山公園のように緑も豊か。そして歴史、文化にも非常に関わりの深いエリアでもあります。

特に、王子周辺にゆかりあるのが、渋沢栄一氏。500社の会社の立ち上げに関わり、晩年は社会貢献に身を捧げた。飛鳥山神社には、そんな渋沢氏の資料館があり、壮絶な人生を学ぶことができる。

渋沢氏は若かりし頃、幕臣として活躍し、27歳で欧州に視察に行きましたが、視察先で明治維新を迎え、帰国しました。
その視察で受けた衝撃は大きく、欧州の先進的な技術や経済の仕組みを必死に学んだ。そして、学んだことを、明治維新後の新しい社会で、とことん生かしていく。

明治維新の頃と、今の世の中は、AIの発達や人口減少など大きなパラダイムシフトが起きている点で、とても似ています。
では、この変化の激しい世の中で、柔軟に対応し、社会をつくりあげていく担い手になるためにはどうしたら良いでしょうか。そのヒントは、渋沢氏の生き様に隠されているように思います。

渋沢氏の人生と自分自身の人生を重ね合わせ、これからの生き方、はたらき方を見つめ直す。2日目以降約120kmの道のりにおける、道しるべとなりました。

https://hatarakuba.com/wp-content/uploads/2017/11/①.jpghttps://hatarakuba.com/wp-content/uploads/2017/11/①-150x150.jpghatarakubaイベント・メディア情報一覧最新記事日光街道143キロを5日間で踏破する日光街道まるっと学び舎プロジェクト。 初日、日本橋をスタートし、浅草でパネルディスカッションののち、徒歩行軍チームはゴールの越谷駅を目指し歩みを進める。 (パネルディスカッションの様子はこちら ▼) まちあるきチームはかつて将軍が歩いた日光御成街道を辿って、駒込・王子周辺を散策。 日光御成街道は、日本橋から駒込、王子を抜けて、川口、岩槻方面に向かい、幸手で日光街道に合流する、将軍家が使っていた道。 駒込以東は農業も盛んで、岩槻方面から土物の野菜を持ち寄り江戸の人々に販売する「やっちゃ場」は、農家と江戸の人々で賑わっていた。 このエリアは、六義園や旧古河庭園などの日本庭園や、飛鳥山公園のように緑も豊か。そして歴史、文化にも非常に関わりの深いエリアでもあります。 特に、王子周辺にゆかりあるのが、渋沢栄一氏。500社の会社の立ち上げに関わり、晩年は社会貢献に身を捧げた。飛鳥山神社には、そんな渋沢氏の資料館があり、壮絶な人生を学ぶことができる。 渋沢氏は若かりし頃、幕臣として活躍し、27歳で欧州に視察に行きましたが、視察先で明治維新を迎え、帰国しました。 その視察で受けた衝撃は大きく、欧州の先進的な技術や経済の仕組みを必死に学んだ。そして、学んだことを、明治維新後の新しい社会で、とことん生かしていく。 明治維新の頃と、今の世の中は、AIの発達や人口減少など大きなパラダイムシフトが起きている点で、とても似ています。 では、この変化の激しい世の中で、柔軟に対応し、社会をつくりあげていく担い手になるためにはどうしたら良いでしょうか。そのヒントは、渋沢氏の生き様に隠されているように思います。 渋沢氏の人生と自分自身の人生を重ね合わせ、これからの生き方、はたらき方を見つめ直す。2日目以降約120kmの道のりにおける、道しるべとなりました。下町の農と食で地域をつなぐ