日光街道143キロを5日間で踏破する日光街道まるっと学び舎プロジェクト。
3日目は、徒歩行軍チームが栗橋から石橋まで歩みを進める中、まちあるきチームは、日光例幣使街道の鹿沼へ。松尾芭蕉も訪れた鹿沼の地をまちあるきし、大谷石、宇都宮へと歩みを進めました。

この日は大人の参加者だけでなく、参加者のお子さんも3名参加し、とても賑やかなまちあるきになりました。子供達がいると、ただまちを歩くだけでも、普段は気づかないことに気づき、より人間的な感性を研ぎ澄まされる。

例えば、鹿沼で寄った「木のふるさと伝統工芸館」で、木材のスーパーボールほどの大きさの玉をもらい、まちあるきをしながら色々なものをやさしく叩いて、その音の違いを楽しんでいる。「いろんな音がするー!」という驚きと楽しさ。これは、大人だけの散策では気づけなかったこと。そして、歩きでなければ気づけないまちの多様性にも気づく。

鹿沼のまちあるきを終えた一行は、参加者でもある社会保険労務士法人出口事務所の栃木事務所を見学させていただき、東京と栃木という離れた空間で共に仕事をするリモートワークという、これからのはたらくカタチを学びました。出口事務所のメンバーは今回お子さんと参加してくれましたが、子育てと仕事を切り離すのではなく、どちらもなるべく融合させて、事務所全体で一緒に子育てをしています。子育てや介護、これまではこれらが原因で、はたらきたくてもはたらけない方はたくさんいると思います。

また、今回初めての試みとして、徒歩行軍チームとまちあるきチームがそれぞれのチームにミッションを出し合う「ミッション・ゲーム」という企画を実践しました。ちょっと無茶なミッションもありましたが、地元の方にご協力いただき、果敢にチャレンジ。ミッションの答えは、(一社)日本ES開発協会が開発した「推歩先生」というアプリに写真を投稿していき、日光街道にお互いのチームの足跡を残していきます。
ICTやAIの技術が発展した今の時代、チームの距離は離れていても、お互いに応援し、切磋琢磨し、つながりを持つことができる。
また、社員のちょっとした意識の変化や工夫で、はたらくことを諦めなくていい社会になってきています。その優しさや柔軟性を持つことが、これからの変化の激しい時代に成長を続けるカギになります。

鹿沼をでて、日本の文化にも大きく寄与している、大谷石の歴史を学びに、大谷資料館へ。大谷石は、古くは古墳時代から、石室の素材に使われてきました。今でこそ「ブラック企業」という言葉がむやみやたらと使われていますが、掘削現場は比にならないほどの環境でした。まだ、機械化が進んでおらず、手彫りだった頃は、五十石(5寸×1尺×3尺)の大きさの石を一本掘るのに4,000回もつるはしを振るったとされます。帝国ホテルや、日光金谷ホテルにも使われており、古くからの建物が今も現存しています。また、第2次世界大戦時には、陸軍の倉庫としても活用されていました。

このように、様々な文化、歴史に寄与してきた大谷石ですが、今では、映画の撮影現場に使われたり、アーティストのライブをしたり、プロジェクトマッピングを映したりと、「芸術」の場に生まれ変わっています。ただ、労働の歴史を伝える暗い場所ではなく、芸術により明るい場所になっている。まさに、創発からのイノベーション。

視点を変えてみたり、何かと掛け合わしてみることで、新しい発見があり、新しいことが生まれる。創発を体感する3日目でした。

https://hatarakuba.com/wp-content/uploads/2017/11/1167.jpghttps://hatarakuba.com/wp-content/uploads/2017/11/1167-150x150.jpghatarakubaイベント・メディア情報一覧最新記事日光街道143キロを5日間で踏破する日光街道まるっと学び舎プロジェクト。 3日目は、徒歩行軍チームが栗橋から石橋まで歩みを進める中、まちあるきチームは、日光例幣使街道の鹿沼へ。松尾芭蕉も訪れた鹿沼の地をまちあるきし、大谷石、宇都宮へと歩みを進めました。 この日は大人の参加者だけでなく、参加者のお子さんも3名参加し、とても賑やかなまちあるきになりました。子供達がいると、ただまちを歩くだけでも、普段は気づかないことに気づき、より人間的な感性を研ぎ澄まされる。 例えば、鹿沼で寄った「木のふるさと伝統工芸館」で、木材のスーパーボールほどの大きさの玉をもらい、まちあるきをしながら色々なものをやさしく叩いて、その音の違いを楽しんでいる。「いろんな音がするー!」という驚きと楽しさ。これは、大人だけの散策では気づけなかったこと。そして、歩きでなければ気づけないまちの多様性にも気づく。 鹿沼のまちあるきを終えた一行は、参加者でもある社会保険労務士法人出口事務所の栃木事務所を見学させていただき、東京と栃木という離れた空間で共に仕事をするリモートワークという、これからのはたらくカタチを学びました。出口事務所のメンバーは今回お子さんと参加してくれましたが、子育てと仕事を切り離すのではなく、どちらもなるべく融合させて、事務所全体で一緒に子育てをしています。子育てや介護、これまではこれらが原因で、はたらきたくてもはたらけない方はたくさんいると思います。 また、今回初めての試みとして、徒歩行軍チームとまちあるきチームがそれぞれのチームにミッションを出し合う「ミッション・ゲーム」という企画を実践しました。ちょっと無茶なミッションもありましたが、地元の方にご協力いただき、果敢にチャレンジ。ミッションの答えは、(一社)日本ES開発協会が開発した「推歩先生」というアプリに写真を投稿していき、日光街道にお互いのチームの足跡を残していきます。 ICTやAIの技術が発展した今の時代、チームの距離は離れていても、お互いに応援し、切磋琢磨し、つながりを持つことができる。 また、社員のちょっとした意識の変化や工夫で、はたらくことを諦めなくていい社会になってきています。その優しさや柔軟性を持つことが、これからの変化の激しい時代に成長を続けるカギになります。 鹿沼をでて、日本の文化にも大きく寄与している、大谷石の歴史を学びに、大谷資料館へ。大谷石は、古くは古墳時代から、石室の素材に使われてきました。今でこそ「ブラック企業」という言葉がむやみやたらと使われていますが、掘削現場は比にならないほどの環境でした。まだ、機械化が進んでおらず、手彫りだった頃は、五十石(5寸×1尺×3尺)の大きさの石を一本掘るのに4,000回もつるはしを振るったとされます。帝国ホテルや、日光金谷ホテルにも使われており、古くからの建物が今も現存しています。また、第2次世界大戦時には、陸軍の倉庫としても活用されていました。 このように、様々な文化、歴史に寄与してきた大谷石ですが、今では、映画の撮影現場に使われたり、アーティストのライブをしたり、プロジェクトマッピングを映したりと、「芸術」の場に生まれ変わっています。ただ、労働の歴史を伝える暗い場所ではなく、芸術により明るい場所になっている。まさに、創発からのイノベーション。 視点を変えてみたり、何かと掛け合わしてみることで、新しい発見があり、新しいことが生まれる。創発を体感する3日目でした。下町の農と食で地域をつなぐ