先日、カルビー株式会社元社長で、「スマート・テロワール」著者の松尾さんと、「里山資本主義」著者の藻谷さんのお話を聞く機会がありました。

「少子化」と聞くと、どういうイメージがあるでしょうか。地方から若者がいなくなった結果?子育てへの不安や共働きの増加の結果?
実は、少子化は地方農村に限られたことではなく、東京、そして東京を含めた一都三県でも、深刻化している。総人口が増えているのに対して、生産人口は減り、全国のほとんどの地域で高齢者が2割ほど増えているのが実態です。

しかし、逆に、群馬県上野村や北海道西興部村など、いくつかの農村では、生産人口および14歳以下の子供の人口減少に歯止めがかかっており、また高齢者の数も、減少ないし横ばいとなっています。

これまでの「向都離村」とも言える、都会への憧れや職の集中が巻き起こす人口流入出。しかし、今、農村にU・Iターンしようという思考が広まっている。その理由の一つに、農村の方が、安心して子育てをできると、女性は直感的に感じていることが挙げられる。人間が、”かっこいい人”や”かわいい人”を好きになる、憧れるのも「より良い遺伝子を残そう」という本能からくるものなのだとしたら、それと同じように、子供を育てやすい環境を求めるのは必然的な感覚でしょう。今は、それが都会ではなく農村にある。というのも、増え続ける高齢者の支援にお金を使い続けなければいけない東京とは違い、農村では、減り始めた高齢者ではなく、増え続ける子供たちのために貴重な資源を使うことができます。ただ単に「感覚的」なものではなく、仕組みとしても子育ての環境が充実しています。

“限界集落””消滅する農村”という言葉を聞いて久しいですが、実は若い人の目はすでに「地方農村」に向いている。若者の目と足は、常に未来の明るい方向に向いています。しかし、どの「地方農村」も全て同じように少子化が解消されているわけではありません。では、その未来の明るさを分けているのは、どのような理由なのでしょうか?

カルビー株式会社元社長の松尾さんは、カルビー時代に全国各地の生産地を歩き回った経験を持ちます。あらゆる生産者、生産地と関わった結果、「劣等生」と「優等生」がいたと言います。優等生とは、天候の良い年も、悪い年も、契約で決めた量を必ず出荷してくれる農業経営者のことで、かたや劣等生とは、天候が悪い年は出荷量が契約数を下回り、天候の良い年は契約数以上の出荷をせがむ農業経営者のことをさします。

この両者の違いには、「地域性」が大きく影響しています。優等生の多い地域には、必ず畜産があり、劣等生の多い地域には、畜産がない。
畜産と畑は、有機的に連携することで、地域に循環をもたらすことができます。畑で出た残渣は畜産のエサとして消費し、そこで出た糞尿は堆肥になり畑に撒かれ、循環する。この循環をそれぞれが「無償」で行うことで、廃棄にかかるコストも、エサ代も肥料代もかからない。市場経済ではなく、非市場経済。

畜産と連携している地域の農業経営者は、この「余剰」をはじめから計算して生産しているので、天候が良い年はさらに余剰が出て、天候が悪い年も契約数を下回ることがありません。この「非市場性」を含めてマネジメントできるかが、これからの「団体戦」による農業経営、またその他の産業の経営においても非常に需要になります。そして、コストがかからない分、市販の大手商品の3割程度の価格で商品を作ることができ、地域内の消費の大部分を担うだけでなく、地域外から外貨を得ることにもつながるといいます。

あえて「余剰」をつくり、畑から畜産に「余剰分」を贈与することにより、畜産から上質な堆肥が贈与される。お金を介在しない「贈与」による非市場経済が、「安心できるつながり」を生み出している。

決して、一朝一夕でできるような地域循環の仕組みではありませんが、10年、30年かけて、徐々に信頼と安心を醸成していく。

すでに、感度の高い若者は、安心できるつながりが豊かな地方農村にその目と足を向けている。

https://hatarakuba.com/wp-content/uploads/2017/11/①-1.jpghttps://hatarakuba.com/wp-content/uploads/2017/11/①-1-150x150.jpghatarakubaライフ×ワークスタイル最新記事先日、カルビー株式会社元社長で、「スマート・テロワール」著者の松尾さんと、「里山資本主義」著者の藻谷さんのお話を聞く機会がありました。 「少子化」と聞くと、どういうイメージがあるでしょうか。地方から若者がいなくなった結果?子育てへの不安や共働きの増加の結果? 実は、少子化は地方農村に限られたことではなく、東京、そして東京を含めた一都三県でも、深刻化している。総人口が増えているのに対して、生産人口は減り、全国のほとんどの地域で高齢者が2割ほど増えているのが実態です。 しかし、逆に、群馬県上野村や北海道西興部村など、いくつかの農村では、生産人口および14歳以下の子供の人口減少に歯止めがかかっており、また高齢者の数も、減少ないし横ばいとなっています。 これまでの「向都離村」とも言える、都会への憧れや職の集中が巻き起こす人口流入出。しかし、今、農村にU・Iターンしようという思考が広まっている。その理由の一つに、農村の方が、安心して子育てをできると、女性は直感的に感じていることが挙げられる。人間が、'かっこいい人'や'かわいい人'を好きになる、憧れるのも「より良い遺伝子を残そう」という本能からくるものなのだとしたら、それと同じように、子供を育てやすい環境を求めるのは必然的な感覚でしょう。今は、それが都会ではなく農村にある。というのも、増え続ける高齢者の支援にお金を使い続けなければいけない東京とは違い、農村では、減り始めた高齢者ではなく、増え続ける子供たちのために貴重な資源を使うことができます。ただ単に「感覚的」なものではなく、仕組みとしても子育ての環境が充実しています。 '限界集落''消滅する農村'という言葉を聞いて久しいですが、実は若い人の目はすでに「地方農村」に向いている。若者の目と足は、常に未来の明るい方向に向いています。しかし、どの「地方農村」も全て同じように少子化が解消されているわけではありません。では、その未来の明るさを分けているのは、どのような理由なのでしょうか? カルビー株式会社元社長の松尾さんは、カルビー時代に全国各地の生産地を歩き回った経験を持ちます。あらゆる生産者、生産地と関わった結果、「劣等生」と「優等生」がいたと言います。優等生とは、天候の良い年も、悪い年も、契約で決めた量を必ず出荷してくれる農業経営者のことで、かたや劣等生とは、天候が悪い年は出荷量が契約数を下回り、天候の良い年は契約数以上の出荷をせがむ農業経営者のことをさします。 この両者の違いには、「地域性」が大きく影響しています。優等生の多い地域には、必ず畜産があり、劣等生の多い地域には、畜産がない。 畜産と畑は、有機的に連携することで、地域に循環をもたらすことができます。畑で出た残渣は畜産のエサとして消費し、そこで出た糞尿は堆肥になり畑に撒かれ、循環する。この循環をそれぞれが「無償」で行うことで、廃棄にかかるコストも、エサ代も肥料代もかからない。市場経済ではなく、非市場経済。 畜産と連携している地域の農業経営者は、この「余剰」をはじめから計算して生産しているので、天候が良い年はさらに余剰が出て、天候が悪い年も契約数を下回ることがありません。この「非市場性」を含めてマネジメントできるかが、これからの「団体戦」による農業経営、またその他の産業の経営においても非常に需要になります。そして、コストがかからない分、市販の大手商品の3割程度の価格で商品を作ることができ、地域内の消費の大部分を担うだけでなく、地域外から外貨を得ることにもつながるといいます。 あえて「余剰」をつくり、畑から畜産に「余剰分」を贈与することにより、畜産から上質な堆肥が贈与される。お金を介在しない「贈与」による非市場経済が、「安心できるつながり」を生み出している。 決して、一朝一夕でできるような地域循環の仕組みではありませんが、10年、30年かけて、徐々に信頼と安心を醸成していく。 すでに、感度の高い若者は、安心できるつながりが豊かな地方農村にその目と足を向けている。下町の農と食で地域をつなぐ