農業経営社の方や、社会福祉関係者、企業経営者の方々など多彩な顔ぶれのメンバの方がに
初めてお会いしましたが、さすが、日本を代表する農業関連雑誌農業経営者を出版する、
昆社長の会だけのことはあって皆さんの熱い議論に終始引き込まれてしまいました。

ゲストスピーカーは、独協大学の北野教授です。先生は、農水省出身でアメリカ
コーネル大学で博士号を取得し農村社会学者のトーマスライソン先生の
シビックアグリカルチャーについて研究し、書籍を出している先生です。
今日は、そのシビックアグリカルチャーについて皆さんで勉強討議をしようということです。
今日勉強になったことを私なりに備忘録としてまとめておこうとおもいます。
・シビックカルチャーとは、農と食とコミュニティをつなぎだすという概念
・先生のグローバルの考えは、グローバルの前にナショナリズムという考えがある。ローカルとは真逆。
・人間は自然環境からうまれ、経済は、人間社会に埋め込まれているという考えが近代以前の考え方だったがグローバルの流れの中で、経済的効率、合理性のなかに、モノカルチャー的な人間社会が形成され(価値観、好み、仕組みなど) カールポランニー元来、食料、農業は地域コミュニティに埋め込まれていたはず。
自然というものは、経済価値で図られるものとなってしまった。国立公園や農地を残したほうが良いかは経済価値ではかられる。
・人間社会は、それぞれの土地の自然環境からうまれてくるのだから、必然的に多様な人間社会が形成されていた。経済も、地域ごとにことなっていて当たり前。
・アメリカの農村、大自然の小さな家がアメリカの原風景。いまは、単一作物、食糧生産基地に。
・グローバル化が貿易のことを指すなら、国内外問わず、グローバル化を進んでいる。日本も産地形成が進んでいる。
これらは、江戸時代にはない現象。戦後から。ナショナリゼーションとグローバリゼーション
・混合複合経営からモノカルチャーへ。小規模農家は、いなくなり民主主義が崩壊する。
・シビックファーマー化。移民を大量に抱えての農業、外国人技能実習生と産地農業
・シビックアグリカルチャー、新しい農業は脱グローバル。生産者だけでなく、加工場、料理人、レストランをふくめてすべてがシビックアグリカルチャー、地域支援型農業の発展、地域が近郊農家を支える。(イサカファーマーズマーケット)シビックエンゲージメントを重視、量販店に行く人ばかりでない、20%くらいは、食料市民がいる。
・ライトミルズ、ウルマーの研究中小企業が経済の中心を占めている街のほうが、大企業に依存している街よりも厚生水準が高い。(民度が高い) 市民的社会参画の頻度、独立中間層の存在
ロバートパットナム、イタリアや1970年から80年までダメ国家になってしまった。地方分権をやってよみがえった。
北部の勝組と南部の負け組が出た。その差は、なぜ?北部の工業化よりも、人口当たりのNPOの数、投票率の高さなど、アクティブな住民がどれだけいるか、ソーシャルキャピタルの重要性。お金の資本でなく、信頼、規範、つながりといった目に見えない資本
・イサカアワー、時は金なりシビックアグリカルチャー、地元の地域社会に埋め込まれた農業、地域社会の問題解決に貢献
・一番はカリフォルニアだが、ニューヨークはワイン2番目、複合経営もやっている。
日本のファーマーズマーケットの問題は、補助金をつかっている。イサカファーマーズマーケットは半径8キロメートルの人しか会員になれない。
地域相手に立派な建物なんていらない。

質疑応答

・農業が単体で食べられたのは戦後から。長州藩の記録、農業だけで食べていたのではない。モノカルチャーで食べられない。
農家さんの社会性、ダイバーシテティが必要。農業は、百姓である。
・日本という言葉を日本人は発するが、アメリカは、アメリカという言葉をあまり言わない。コミュニティという言葉をよくつかう。
中央集権的な表れ。どうも多様性を封印しがち、同調圧力
・農業は、1971年接種カロリーがピーク。いまは、実は食料過多の時代。欠乏社会でない。
・農村といわれるところでも、農家は1割もいない。農村は現像である。農村と都市の2項対立は意味をなさい。

以上から、農業経営者が地域のリーダーになっていくには、ダイバーシティが必要であり、生産者であり経営者であり、地域住民であり、食品加工会社でありなどダイバーシティ化が必要。
社会とのつながりをつくる。そにれは、NPOなど地域の課題をとらえている団体とのつながりが大切。
そこから、農業経営者が農村経営者になるという段階が生まれてくる。

https://hatarakuba.com/wp-content/uploads/2017/01/7f222782d5a0d59d11c89d4ad68ff9b8.jpghttps://hatarakuba.com/wp-content/uploads/2017/01/7f222782d5a0d59d11c89d4ad68ff9b8-150x150.jpghatarakubaつながり・コミュニティ農業経営社の方や、社会福祉関係者、企業経営者の方々など多彩な顔ぶれのメンバの方がに 初めてお会いしましたが、さすが、日本を代表する農業関連雑誌農業経営者を出版する、 昆社長の会だけのことはあって皆さんの熱い議論に終始引き込まれてしまいました。 ゲストスピーカーは、独協大学の北野教授です。先生は、農水省出身でアメリカ コーネル大学で博士号を取得し農村社会学者のトーマスライソン先生の シビックアグリカルチャーについて研究し、書籍を出している先生です。 今日は、そのシビックアグリカルチャーについて皆さんで勉強討議をしようということです。 今日勉強になったことを私なりに備忘録としてまとめておこうとおもいます。 ・シビックカルチャーとは、農と食とコミュニティをつなぎだすという概念 ・先生のグローバルの考えは、グローバルの前にナショナリズムという考えがある。ローカルとは真逆。 ・人間は自然環境からうまれ、経済は、人間社会に埋め込まれているという考えが近代以前の考え方だったがグローバルの流れの中で、経済的効率、合理性のなかに、モノカルチャー的な人間社会が形成され(価値観、好み、仕組みなど) カールポランニー元来、食料、農業は地域コミュニティに埋め込まれていたはず。 自然というものは、経済価値で図られるものとなってしまった。国立公園や農地を残したほうが良いかは経済価値ではかられる。 ・人間社会は、それぞれの土地の自然環境からうまれてくるのだから、必然的に多様な人間社会が形成されていた。経済も、地域ごとにことなっていて当たり前。 ・アメリカの農村、大自然の小さな家がアメリカの原風景。いまは、単一作物、食糧生産基地に。 ・グローバル化が貿易のことを指すなら、国内外問わず、グローバル化を進んでいる。日本も産地形成が進んでいる。 これらは、江戸時代にはない現象。戦後から。ナショナリゼーションとグローバリゼーション ・混合複合経営からモノカルチャーへ。小規模農家は、いなくなり民主主義が崩壊する。 ・シビックファーマー化。移民を大量に抱えての農業、外国人技能実習生と産地農業 ・シビックアグリカルチャー、新しい農業は脱グローバル。生産者だけでなく、加工場、料理人、レストランをふくめてすべてがシビックアグリカルチャー、地域支援型農業の発展、地域が近郊農家を支える。(イサカファーマーズマーケット)シビックエンゲージメントを重視、量販店に行く人ばかりでない、20%くらいは、食料市民がいる。 ・ライトミルズ、ウルマーの研究中小企業が経済の中心を占めている街のほうが、大企業に依存している街よりも厚生水準が高い。(民度が高い) 市民的社会参画の頻度、独立中間層の存在 ロバートパットナム、イタリアや1970年から80年までダメ国家になってしまった。地方分権をやってよみがえった。 北部の勝組と南部の負け組が出た。その差は、なぜ?北部の工業化よりも、人口当たりのNPOの数、投票率の高さなど、アクティブな住民がどれだけいるか、ソーシャルキャピタルの重要性。お金の資本でなく、信頼、規範、つながりといった目に見えない資本 ・イサカアワー、時は金なりシビックアグリカルチャー、地元の地域社会に埋め込まれた農業、地域社会の問題解決に貢献 ・一番はカリフォルニアだが、ニューヨークはワイン2番目、複合経営もやっている。 日本のファーマーズマーケットの問題は、補助金をつかっている。イサカファーマーズマーケットは半径8キロメートルの人しか会員になれない。 地域相手に立派な建物なんていらない。 質疑応答 ・農業が単体で食べられたのは戦後から。長州藩の記録、農業だけで食べていたのではない。モノカルチャーで食べられない。 農家さんの社会性、ダイバーシテティが必要。農業は、百姓である。 ・日本という言葉を日本人は発するが、アメリカは、アメリカという言葉をあまり言わない。コミュニティという言葉をよくつかう。 中央集権的な表れ。どうも多様性を封印しがち、同調圧力 ・農業は、1971年接種カロリーがピーク。いまは、実は食料過多の時代。欠乏社会でない。 ・農村といわれるところでも、農家は1割もいない。農村は現像である。農村と都市の2項対立は意味をなさい。 以上から、農業経営者が地域のリーダーになっていくには、ダイバーシティが必要であり、生産者であり経営者であり、地域住民であり、食品加工会社でありなどダイバーシティ化が必要。 社会とのつながりをつくる。そにれは、NPOなど地域の課題をとらえている団体とのつながりが大切。 そこから、農業経営者が農村経営者になるという段階が生まれてくる。下町の農と食で地域をつなぐ