農道はだれがデザインしたのか?未来の組織をデザインするのは社長、人事部?それとも?
内山先生のお話に農道はだれが作ったのかという話がありました。
農道をデザインしたのは有名な建築家ではないはずだという。
農道をつくったのは、農村的関係性がデザインしたのだと。
衝撃的な一言。
物事を解決したり、前回のココファームの池上専務といい、内山先生といい
共通している点。それは、関係性の中からデザインするということ。
私たちは、戦略に合わせて組織を整え、人事制度をつくり、賃金制度を
整えれば、戦略を実現したり、問題を解決出来たりすると考えている。
人事制度を設計する、組織を設計する。社員を教育する。
それは本当なのか?
弊社も確かに多くの企業へ人事制度を設計してきたが、上手くいく会社とそうでない会社の
違い。それは、関係性の中から、それらがデザインされたものであったかということ。
場合によっては、人事制度すら必要のない会社も弊社では、3割を超えている。
今必要なのは、人事制度をつくることではない。
関係性をマネジメントする方がよっぽど大切であり、
人事制度はオノズカラ、デザインされるものであり、されなくてもよいともいえる。
内山先生の講義で、土着の言語と標準語の話について説明がなされた。
土着の言語つまり方言のようなものは教えられるものではない。
土着の関係性の中で互酬のさまざまな形態のなかで広まっていったもので
教えられるものではないのである。
池上専務も障がい者の教育についてそれは、学ぶもの、教えるものでしょうか?
と私たちに投げかけた。
仕事はオノヅカラなると。その環境のなかで育まれていくものだと。
話を内山先生に戻してみると、
方言、その一方で標準語は教えられる言語であるという。設計された言語ともいえる。
そして、それは、どちらとも必要だという。
沖縄と東北ではヴァナキュラーでは、言葉がほとんど通じないのではないかと。
方言はヴァナキュラーだが、書き言葉は全国統一であり、私たちは、確かに全国統一の教えられた言語がなければ、
効率の悪さはこの上ない。現実は多層的な社会で
動いているということだ。
いま、私たちが大切にしなくてはいけないのは、組織開発の視点。それは、土着(現場)の関係性にもっと
目を向けることではないだろうか?
フォーマルな組織だけでは、農道は創れないと同じように、イノベーティブな商品や新しい事業をデザインするのは
その組織の関係性の質いかんによるということだ。
ダニエルキムの結果を変えたければ、関係性の質を変えよという思想とつながっていく。
https://hatarakuba.com/%e9%80%b2%e5%8c%96%e3%81%99%e3%82%8b%e7%b5%84%e7%b9%94/%e8%be%b2%e9%81%93%e3%81%af%e3%81%a0%e3%82%8c%e3%81%8c%e3%83%87%e3%82%b6%e3%82%a4%e3%83%b3%e3%81%97%e3%81%9f%e3%81%ae%e3%81%8b%ef%bc%9f%e6%9c%aa%e6%9d%a5%e3%81%ae%e7%b5%84%e7%b9%94%e3%82%92%e3%83%87/https://hatarakuba.com/wp-content/uploads/2017/01/3465715af2f8675812b9c7449d0da432.jpghttps://hatarakuba.com/wp-content/uploads/2017/01/3465715af2f8675812b9c7449d0da432-150x150.jpg進化する組織内山先生のお話に農道はだれが作ったのかという話がありました。 農道をデザインしたのは有名な建築家ではないはずだという。 農道をつくったのは、農村的関係性がデザインしたのだと。 衝撃的な一言。 物事を解決したり、前回のココファームの池上専務といい、内山先生といい 共通している点。それは、関係性の中からデザインするということ。 私たちは、戦略に合わせて組織を整え、人事制度をつくり、賃金制度を 整えれば、戦略を実現したり、問題を解決出来たりすると考えている。 人事制度を設計する、組織を設計する。社員を教育する。 それは本当なのか? 弊社も確かに多くの企業へ人事制度を設計してきたが、上手くいく会社とそうでない会社の 違い。それは、関係性の中から、それらがデザインされたものであったかということ。 場合によっては、人事制度すら必要のない会社も弊社では、3割を超えている。 今必要なのは、人事制度をつくることではない。 関係性をマネジメントする方がよっぽど大切であり、 人事制度はオノズカラ、デザインされるものであり、されなくてもよいともいえる。 内山先生の講義で、土着の言語と標準語の話について説明がなされた。 土着の言語つまり方言のようなものは教えられるものではない。 土着の関係性の中で互酬のさまざまな形態のなかで広まっていったもので 教えられるものではないのである。 池上専務も障がい者の教育についてそれは、学ぶもの、教えるものでしょうか? と私たちに投げかけた。 仕事はオノヅカラなると。その環境のなかで育まれていくものだと。 話を内山先生に戻してみると、 方言、その一方で標準語は教えられる言語であるという。設計された言語ともいえる。 そして、それは、どちらとも必要だという。 沖縄と東北ではヴァナキュラーでは、言葉がほとんど通じないのではないかと。 方言はヴァナキュラーだが、書き言葉は全国統一であり、私たちは、確かに全国統一の教えられた言語がなければ、 効率の悪さはこの上ない。現実は多層的な社会で 動いているということだ。 いま、私たちが大切にしなくてはいけないのは、組織開発の視点。それは、土着(現場)の関係性にもっと 目を向けることではないだろうか? フォーマルな組織だけでは、農道は創れないと同じように、イノベーティブな商品や新しい事業をデザインするのは その組織の関係性の質いかんによるということだ。 ダニエルキムの結果を変えたければ、関係性の質を変えよという思想とつながっていく。hatarakuba info@jinji-roumu.comAdministrator903シティファーム推進協議会
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