■「情報の透明性」の壁を越えると、ほっといてもうまくいく

どうすればホラクラシー型の組織を作れるのだろうか?

“ほとんどの会社が1年ぐらいで挫折してしまうというのが実態としてあります。なぜかというと、情報が不透明だし、誰かが権力を持っているし、報酬制度がつながっていないから。ここの3つに行き着くのです。”

企業がまずホラクラシー経営を目指す際に取り組むべきこと、かつ、一番の大きな壁となるのが「情報の透明性」である。しかし、この大きな壁を乗り越えるとホラクラシー型組織の強みであり面白さでもある「ほっといてもうまくいく」という状況が組織の中に生まれる。

”情報の透明性が一番最初の一番重要なところなのかなと”

”自浄作用というか。村社会みたいな感じですけれども、相互監視。これは本当に面白いのですけれども、SNSみたいなもので、お互いに対する相互監視が効くので暴走しないのです。逆に自治が働くというか。ヒエラルキーは、そもそも昇給とか肩書を餌にして駆り立てる、エゴを暴走させる仕組みなので、基本的に何でもかんでもが暴走するのです。“

”また面白いのが、ここにつながっているからそうなるのですけれども、ちゃんと会社のお金を価値あるお金として使ったり、無駄なものを使わないとか会社の業績とかビジネスにいい影響をもたらした。“

“われわれは実は性善説とか性悪説を持っていなくて、人間はものすごくニュートラルなもので置かれた環境に勝手に最適化してしまう動物や植物みたいなものだと思っているので、一個人を責めることはほとんどしなくて、仕組みの問題と全て置き換えて、個人の合理性と全体の合理性を一致させるためにどういう仕組みをつくったらいいかというふうにそこをすごく緻密に制度設計したり、情報の流通の設計をやってきています。

“本当にうちの会社はずるをしないで普通に頑張るのが一番給料が上がるので面白いかと思います。”

ダイヤモンドメディア社における情報の透明性は徹底しており、利用した経費はもちろんメンバー全員の給与額までが含まれる。面白いのは、情報の透明性の効果がホラクラシー組織の大きな特徴である「ほっといてもうまくいく」という点につながっていくことだ。たとえば、稟議による承認というカタチをとらなくとも情報が公開されていることにより自浄作用が働き、良い判断が自然と行われるようになるのだ。多くの会社(ヒエラルキー組織)では、よい判断や行動を促そうとする際に“個人に着目”し教育を行ったりして動かそうとする。一方、ホラクラシー経営においては“組織のあり方”や“仕組み”に着目する。無理やり動かそうとせずとも動くようになる環境を作ろうと考えるのだ。

そして、その特効薬でもあり劇薬でもあるのが「情報の透明性」だろう。

”透明にすると無駄な老廃物が流れるような状況が生まれるのではないかと思います。”

情報の透明性を実現しようとすると、その組織にあった「不自然さ」が浮き彫りになる。不自然さと対峙することは、組織としてかなり勇気のいることだが、それを乗り越えて始めて、自然な組織を目指すことが出来るのだろう。

■給料はマーケット相場で決める

人事制度に対する不満の中で最も多いのは評価制度に対するものだ。自分が正しく評価されていないというのが最も多い不満なのだ。

ホラクラシー経営を実践するダイヤモンドメディア株式会社では年2回部署ごとに「お金の使い方会議」にて給与を決める。メンバー全員の給与額を並べ、マーケット相場と比べるとともにメンバー間の差額が適正かを話し合っていくのだ。転職したらいくらの給料なのか?また、組織内でのメンバー間での給与の差額の適正さが話し合われた上で決定される給与については、「自分が正しく評価されていない」という不満はもはや生まれることは無いだろう。

”給与は絶対にオープンのほうがいいです。オープンにしないと、仕事ができないのにプレゼンテーションがうまいとか交渉がうまいからというだけで給料が上がってしまう人が絶対に出てくるのです。“

“納得感は給与の絶対額ではなくて相対的に自分の評価が適正になされているかというものだと思うので、会社が苦しいときに給料をもっとよこせと普通は言わないですし、「今の会社の状況でこうだったらみんなの全体がこうで、この能力の人はこのぐらいで、自分の能力はこのぐらいだからこうかな」というのは仮に額が低かったとしても納得できる”

”給料を決める場をお金の使い方会議と呼んでいるのですけれども、半年に1回やるのですけれども、それが世間一般でいう人事考課とか給与査定みたいな場なのですけれども、個人面談しないで、場で、部署ごとにばーっと話し合って決めるのですけれども、1時間の会議を2回やっておしまいです。それを半年ごとに。その給料の評価制度と個人個人の納得感はマックスです。なぜなら、うちの場合はマーケット相場にさらすのです。今あなたがやっている仕事をアウトソースしたら幾らで済むのか、あなたが転職したら幾らぐらいか。”

”給与を決めるという表現よりも相場を整えるというほうが近いのですけれども、全員の給料を並べて部署ごとに「誰々さんの給料はマーケット相場からするともうちょっと上がっていいのではないか」とか。でも、この人が上がるとその上にいる人の給料に近付くではないですか。では、ここの差がどうか。「こちらが上がったらやはりこちらも上がるよね。でも、こちらを上げられないのだったらこちらも上げられないな」とかそういう話し合いをするのです。給料の差額が適正かというような。“

 ■目的があるとコミュニティは成り立たない?

”理念もビジョンもない。経営計画もない。”

”目的があるとコミュニティは成り立たないのです。達成されたら消滅してしまうので、い続けることがわれわれはコミュニティだと思っていて、コミュニティはまさにコミュというとおりコミュニケーションによって成り立っていると思っています。”

武井さんの話の中で、特に印象的で、かつ、私の中でのホラクラシー組織の具体的なイメージを形作ってくれたのが「コミュニティに目的は必要ない」という話だ。これまでの私は、自発的に動く組織の実現には「思いの共有」、つまり組織の目的の共有が絶対条件だと考えていた。組織の目的をメンバー全員が理解することで、トップの判断によらずともそれぞれが判断を行うことができると考えていたからだ。自発的に動く組織という面ではホラクラシー組織と重なるが、思いの共有による組織作りと、ホラクラシー組織は全く別物であるというのが今の私の理解だ。会社組織における思いの共有、具体的には理念やクレドといったことを考えるときは、会社組織を共通の目的を達成するための「チーム」として見ていたように思う。しかし、ホラクラシー組織はもう一つ上の抽象度にあるのだ。目的が生まれ、目的を達成するためのチームが生まれる場がホラクラシー組織なのだ。会社組織をチームではなくコミュニティとして考えているのだ。

そして、コミュニティの本質は雑談であるという話から私の中のホラクラシー組織の具体的イメージが固まっていった。

“コミュニティの本質は雑談だと思っているのです。われわれは会社の中で会議をするときに雑談しかしないのです。”

“というのも、会議を大きく分けると、僕の勝手なフレームワークなのですけれども、大きく3つあって、情報共有のための報告の会議と意思決定をするための会議と意見を出し合うための発散の会議。大きく3つあります。でも、情報を普段からオープンにして権力がない状態でやっていると最初の2つは要らなくなるのです。”

“そうすると、あとは発散の会議しかないのです。”

“当事者性という研究領域があって、当事者の意識は当事者しか持てないわけで、みんなに当事者意識を持ってもらうためには当事者にするしかない。“

“会社として大きな意思決定をするときは、必ず全体の意見出しというか、例えば選挙をするのも全員から投票して意見を集めるだけなのです。集めた意見で既存の経営チームで次はどうしようかと決めるのですけれども、集めるだけでよいのです。それをかませるとみんな当事者になるので、自然にコミット力というか、実行力が高まるのです。”

最終的に固まった私の中でのホラクラシー組織は、様々な職種、役職の人が集まって雑談が行われているコワーキングスペースだ。フリーデスクのシェアオフィスでそれぞれがそれぞれに仕事をしているのではなく、そこに居合わせた人々の偶発的な出会いからプロジェクトが生まれていく。一緒にプロジェクトを進めることになることもあれば、一緒に仕事はしないけれども雑談から得たヒントを自らの仕事に生かすといった相乗効果が生まれる場。アーティストと経営者、または学生と行った、これまでの縦割りの組織のあり方ではつながりづらかった者たちがつながって、そこから価値が生まれていく。まさしくネットワーク、つながって(ネット)価値を生み出す(ワーク)組織がホラクラシーであり、そこにコントロールは必要ないのである。

https://hatarakuba.com/wp-content/uploads/2017/08/DSC02505.jpghttps://hatarakuba.com/wp-content/uploads/2017/08/DSC02505-150x150.jpghatarakubaイベント・メディア情報一覧経営と自然の調和■「情報の透明性」の壁を越えると、ほっといてもうまくいく どうすればホラクラシー型の組織を作れるのだろうか? “ほとんどの会社が1年ぐらいで挫折してしまうというのが実態としてあります。なぜかというと、情報が不透明だし、誰かが権力を持っているし、報酬制度がつながっていないから。ここの3つに行き着くのです。” 企業がまずホラクラシー経営を目指す際に取り組むべきこと、かつ、一番の大きな壁となるのが「情報の透明性」である。しかし、この大きな壁を乗り越えるとホラクラシー型組織の強みであり面白さでもある「ほっといてもうまくいく」という状況が組織の中に生まれる。 ”情報の透明性が一番最初の一番重要なところなのかなと” ”自浄作用というか。村社会みたいな感じですけれども、相互監視。これは本当に面白いのですけれども、SNSみたいなもので、お互いに対する相互監視が効くので暴走しないのです。逆に自治が働くというか。ヒエラルキーは、そもそも昇給とか肩書を餌にして駆り立てる、エゴを暴走させる仕組みなので、基本的に何でもかんでもが暴走するのです。“ ”また面白いのが、ここにつながっているからそうなるのですけれども、ちゃんと会社のお金を価値あるお金として使ったり、無駄なものを使わないとか会社の業績とかビジネスにいい影響をもたらした。“ “われわれは実は性善説とか性悪説を持っていなくて、人間はものすごくニュートラルなもので置かれた環境に勝手に最適化してしまう動物や植物みたいなものだと思っているので、一個人を責めることはほとんどしなくて、仕組みの問題と全て置き換えて、個人の合理性と全体の合理性を一致させるためにどういう仕組みをつくったらいいかというふうにそこをすごく緻密に制度設計したり、情報の流通の設計をやってきています。 “本当にうちの会社はずるをしないで普通に頑張るのが一番給料が上がるので面白いかと思います。” ダイヤモンドメディア社における情報の透明性は徹底しており、利用した経費はもちろんメンバー全員の給与額までが含まれる。面白いのは、情報の透明性の効果がホラクラシー組織の大きな特徴である「ほっといてもうまくいく」という点につながっていくことだ。たとえば、稟議による承認というカタチをとらなくとも情報が公開されていることにより自浄作用が働き、良い判断が自然と行われるようになるのだ。多くの会社(ヒエラルキー組織)では、よい判断や行動を促そうとする際に“個人に着目”し教育を行ったりして動かそうとする。一方、ホラクラシー経営においては“組織のあり方”や“仕組み”に着目する。無理やり動かそうとせずとも動くようになる環境を作ろうと考えるのだ。 そして、その特効薬でもあり劇薬でもあるのが「情報の透明性」だろう。 ”透明にすると無駄な老廃物が流れるような状況が生まれるのではないかと思います。” 情報の透明性を実現しようとすると、その組織にあった「不自然さ」が浮き彫りになる。不自然さと対峙することは、組織としてかなり勇気のいることだが、それを乗り越えて始めて、自然な組織を目指すことが出来るのだろう。 ■給料はマーケット相場で決める 人事制度に対する不満の中で最も多いのは評価制度に対するものだ。自分が正しく評価されていないというのが最も多い不満なのだ。 ホラクラシー経営を実践するダイヤモンドメディア株式会社では年2回部署ごとに「お金の使い方会議」にて給与を決める。メンバー全員の給与額を並べ、マーケット相場と比べるとともにメンバー間の差額が適正かを話し合っていくのだ。転職したらいくらの給料なのか?また、組織内でのメンバー間での給与の差額の適正さが話し合われた上で決定される給与については、「自分が正しく評価されていない」という不満はもはや生まれることは無いだろう。 ”給与は絶対にオープンのほうがいいです。オープンにしないと、仕事ができないのにプレゼンテーションがうまいとか交渉がうまいからというだけで給料が上がってしまう人が絶対に出てくるのです。“ “納得感は給与の絶対額ではなくて相対的に自分の評価が適正になされているかというものだと思うので、会社が苦しいときに給料をもっとよこせと普通は言わないですし、「今の会社の状況でこうだったらみんなの全体がこうで、この能力の人はこのぐらいで、自分の能力はこのぐらいだからこうかな」というのは仮に額が低かったとしても納得できる” ”給料を決める場をお金の使い方会議と呼んでいるのですけれども、半年に1回やるのですけれども、それが世間一般でいう人事考課とか給与査定みたいな場なのですけれども、個人面談しないで、場で、部署ごとにばーっと話し合って決めるのですけれども、1時間の会議を2回やっておしまいです。それを半年ごとに。その給料の評価制度と個人個人の納得感はマックスです。なぜなら、うちの場合はマーケット相場にさらすのです。今あなたがやっている仕事をアウトソースしたら幾らで済むのか、あなたが転職したら幾らぐらいか。” ”給与を決めるという表現よりも相場を整えるというほうが近いのですけれども、全員の給料を並べて部署ごとに「誰々さんの給料はマーケット相場からするともうちょっと上がっていいのではないか」とか。でも、この人が上がるとその上にいる人の給料に近付くではないですか。では、ここの差がどうか。「こちらが上がったらやはりこちらも上がるよね。でも、こちらを上げられないのだったらこちらも上げられないな」とかそういう話し合いをするのです。給料の差額が適正かというような。“  ■目的があるとコミュニティは成り立たない? ”理念もビジョンもない。経営計画もない。” ”目的があるとコミュニティは成り立たないのです。達成されたら消滅してしまうので、い続けることがわれわれはコミュニティだと思っていて、コミュニティはまさにコミュというとおりコミュニケーションによって成り立っていると思っています。” 武井さんの話の中で、特に印象的で、かつ、私の中でのホラクラシー組織の具体的なイメージを形作ってくれたのが「コミュニティに目的は必要ない」という話だ。これまでの私は、自発的に動く組織の実現には「思いの共有」、つまり組織の目的の共有が絶対条件だと考えていた。組織の目的をメンバー全員が理解することで、トップの判断によらずともそれぞれが判断を行うことができると考えていたからだ。自発的に動く組織という面ではホラクラシー組織と重なるが、思いの共有による組織作りと、ホラクラシー組織は全く別物であるというのが今の私の理解だ。会社組織における思いの共有、具体的には理念やクレドといったことを考えるときは、会社組織を共通の目的を達成するための「チーム」として見ていたように思う。しかし、ホラクラシー組織はもう一つ上の抽象度にあるのだ。目的が生まれ、目的を達成するためのチームが生まれる場がホラクラシー組織なのだ。会社組織をチームではなくコミュニティとして考えているのだ。 そして、コミュニティの本質は雑談であるという話から私の中のホラクラシー組織の具体的イメージが固まっていった。 “コミュニティの本質は雑談だと思っているのです。われわれは会社の中で会議をするときに雑談しかしないのです。” “というのも、会議を大きく分けると、僕の勝手なフレームワークなのですけれども、大きく3つあって、情報共有のための報告の会議と意思決定をするための会議と意見を出し合うための発散の会議。大きく3つあります。でも、情報を普段からオープンにして権力がない状態でやっていると最初の2つは要らなくなるのです。” “そうすると、あとは発散の会議しかないのです。” “当事者性という研究領域があって、当事者の意識は当事者しか持てないわけで、みんなに当事者意識を持ってもらうためには当事者にするしかない。“ “会社として大きな意思決定をするときは、必ず全体の意見出しというか、例えば選挙をするのも全員から投票して意見を集めるだけなのです。集めた意見で既存の経営チームで次はどうしようかと決めるのですけれども、集めるだけでよいのです。それをかませるとみんな当事者になるので、自然にコミット力というか、実行力が高まるのです。” 最終的に固まった私の中でのホラクラシー組織は、様々な職種、役職の人が集まって雑談が行われているコワーキングスペースだ。フリーデスクのシェアオフィスでそれぞれがそれぞれに仕事をしているのではなく、そこに居合わせた人々の偶発的な出会いからプロジェクトが生まれていく。一緒にプロジェクトを進めることになることもあれば、一緒に仕事はしないけれども雑談から得たヒントを自らの仕事に生かすといった相乗効果が生まれる場。アーティストと経営者、または学生と行った、これまでの縦割りの組織のあり方ではつながりづらかった者たちがつながって、そこから価値が生まれていく。まさしくネットワーク、つながって(ネット)価値を生み出す(ワーク)組織がホラクラシーであり、そこにコントロールは必要ないのである。下町の農と食で地域をつなぐ