いきなり「子どものらくがきでノーベル平和賞を」とは唐突すぎでしょうか? しかしこのキャッチコピーで、私は今までにない大人の社会的行動=ソーシャルアクションを提起しています。

その根源にあるのが「子どもがいなければ、社会(大人)は完成しない」という思いです。

その思いに至ったのが、2011年夏のこと。私は2011年、東日本大震災の津波の報道映像を見て、いてもたってもいられなくなり、コネもツテも何もない東北被災地にいくことを決心しました。しかし、現地に知り合いもおらず、「子どものことは後」という風潮もあり、一時は断念も考えましたが、7月にやっとツテが繋がったのでした。

相手は大分の知人から紹介された東京の方。ツイッターでたまたま見つけたから、コンタクトしてみたら。と知人からメッセージがきました。その知人もその人のことは知りません。しかし、もうここしかない。と一念発起して、ツイッターでコンタクト。すると「7月25日に南相馬市で復興支援祭をやります。謝金も交通費もないよ。ボランティアだけど、来ますか?」という主催者からの返信でしたが、もう涙流しながら「行きます!」と即答。家族を説得し、軽自動車に画用紙や画材を目一杯詰め込んで、愛知県瀬戸市から5日間のみちのく一人旅が始まりました。そのツイッター以降、なぜかトントンと縁がつながり、結局、福島・宮城・岩手の3県4か所で、「ふるさとの一番好きなとこ」を描く体験会を実施。その時に出会ったお母さんの言葉が、ユニゾグラフの生みの親であり、私の人生を決定的に変えたのです。それは石巻市万石浦地区の幼稚園での体験会でした。

「3月11日の大津波で、私は親も夫も友達もみんな流されてしまいました。それ以来、子どもに隠れて、毎日死にたい死にたいと泣いていました。でも、娘は毎日笑って、私に抱きついてくる。そのたびに私はこの子に救われたのですよ。今があるのも子どものおかげ。残された人生は、この子に精一杯、恩返しです」

それまで私は、子どもは見かけの小ささ故に大人(社会)から一方的に養育される。だから時として、育児放棄や暴力など大人のエゴで傷つけられるのだと感じていました。
しかしこの日、私は初めて「子どもこそが拙い大人(社会)を支えている真実」を知りました。
それからというもの、「もしリビングや街角、オフィス、もっといえば銃声がとまらない紛争地など社会のいたる所に、子どもの愛おしさが宿るアートが存在したら、それが灯火となり、大人(社会)は子どもを傷つけ殺す闇から解放されるのでは?」と考えるようになりました。

そこで考案したのがユニゾグラフ®です。ユニゾグラフとは、フランス語の”unison(融合する)”と”graffiti(子どもが描いた落書き)”をくっつけた造語ですが、その活動のスタート地点が「被災地・紛争地・貧困地域」で、子供達の生存と教育を支援する非営利団体と「ふるさとの絵を描く」アート体験会を行うこと。そしてユニゾグラフ®作家は、そこで生まれた「ふるさとの絵」を著作権含めたすべての権利を譲渡してもらった上で、それらを素材にしたアート作品を製作。

次にそのアート作品をデザイン素材として、「子どもの生存・教育」をサポートしたいと考える企業・個人に提案。企業側で商品化したり、オフィスや店舗などで展示、販売し、それを市民が購入する。その流れで生まれたアート作品使用料の20%を、最初に関わった非営利団体の運営資金として還元し、子どものらくがきから生まれたアートの魅力が、国境・民族・宗教すべてを超えて、世界中の大人の元気を支える。これがユニゾグラフ®運動です。

私の立ち上げた一般社団法人ユニゾグラフ藝術研究所は、その運動の企画元として、体験会を企画実施。作品使用料の20%を非営利団体に義援するコアとして機能します。

次回は、この仕組みを使って、具体的にどのようなプロジェクトが生まれたかをご案内したいと思います。

 

■ユニゾグラファー ca37 三輪 健郎さん

2016年、子どものらくがきから生まれたアート作品を、ユニゾグラフとして商標登録。子どものらくがきを単なるアート作品でなく、様々な企業がデザイン素材として採用することで、その作品使用料の20%を子どもの生存・教育支援団体に義援。世界中の大人が、被災や貧困や紛争に苦しむ子どもの支援に参加できる仕組みを、アートを通じてプレゼンテーションしている。現在、国画会会友。
2011年に起きた東日本大震災後の7月8月、被災地4ヶ所(福島県南相馬市、宮城県石巻市・蛇田地区、同市・万石浦地区、岩手県大船渡市)にて、被災した子どもたちとふるさとの絵を描く「らくがきアート体験会」を実施。
そこで託された200点余りの子どもたちの絵を素材に20点余りの「ユニゾグラフ®」を制作。その作品を用いてデザインしたカレンダーの販売収益を被災孤児の教育支援に寄付したことから、らくがきを活かした子どもの教育・生活支援活動「ユニゾグラフ運動」開始。
2012年には被災地から生まれたユニゾグラフ2点が、世界的なファッションブランドISSEY MIYAKE MENの2013年度春夏・秋冬コレクションのデザイン素材として採用される。
2013年、2014年、イギリスを拠点としたデジタルアートの国際展 THE LUMEN PRIZEにて世界100選。
2014年、カンボジアにて、子どもの教育支援・地域の生活自立支援を行うNPO法人テラ・ルネッサンスとともに、カンボジアとタイ紛争の舞台となった国境の小学校にて、在校生150名とふるさとの絵を描く体験会を実施。そこで託された絵を素材にした作品が、国際展で入選するなど、日本国内外で精力的な活動を行っている。

https://hatarakuba.com/wp-content/uploads/2017/02/st-3-1.jpghttps://hatarakuba.com/wp-content/uploads/2017/02/st-3-1-150x150.jpghatarakubaはたらくをデザインするいきなり「子どものらくがきでノーベル平和賞を」とは唐突すぎでしょうか? しかしこのキャッチコピーで、私は今までにない大人の社会的行動=ソーシャルアクションを提起しています。 その根源にあるのが「子どもがいなければ、社会(大人)は完成しない」という思いです。 その思いに至ったのが、2011年夏のこと。私は2011年、東日本大震災の津波の報道映像を見て、いてもたってもいられなくなり、コネもツテも何もない東北被災地にいくことを決心しました。しかし、現地に知り合いもおらず、「子どものことは後」という風潮もあり、一時は断念も考えましたが、7月にやっとツテが繋がったのでした。 相手は大分の知人から紹介された東京の方。ツイッターでたまたま見つけたから、コンタクトしてみたら。と知人からメッセージがきました。その知人もその人のことは知りません。しかし、もうここしかない。と一念発起して、ツイッターでコンタクト。すると「7月25日に南相馬市で復興支援祭をやります。謝金も交通費もないよ。ボランティアだけど、来ますか?」という主催者からの返信でしたが、もう涙流しながら「行きます!」と即答。家族を説得し、軽自動車に画用紙や画材を目一杯詰め込んで、愛知県瀬戸市から5日間のみちのく一人旅が始まりました。そのツイッター以降、なぜかトントンと縁がつながり、結局、福島・宮城・岩手の3県4か所で、「ふるさとの一番好きなとこ」を描く体験会を実施。その時に出会ったお母さんの言葉が、ユニゾグラフの生みの親であり、私の人生を決定的に変えたのです。それは石巻市万石浦地区の幼稚園での体験会でした。 「3月11日の大津波で、私は親も夫も友達もみんな流されてしまいました。それ以来、子どもに隠れて、毎日死にたい死にたいと泣いていました。でも、娘は毎日笑って、私に抱きついてくる。そのたびに私はこの子に救われたのですよ。今があるのも子どものおかげ。残された人生は、この子に精一杯、恩返しです」 それまで私は、子どもは見かけの小ささ故に大人(社会)から一方的に養育される。だから時として、育児放棄や暴力など大人のエゴで傷つけられるのだと感じていました。 しかしこの日、私は初めて「子どもこそが拙い大人(社会)を支えている真実」を知りました。 それからというもの、「もしリビングや街角、オフィス、もっといえば銃声がとまらない紛争地など社会のいたる所に、子どもの愛おしさが宿るアートが存在したら、それが灯火となり、大人(社会)は子どもを傷つけ殺す闇から解放されるのでは?」と考えるようになりました。 そこで考案したのがユニゾグラフ®です。ユニゾグラフとは、フランス語の”unison(融合する)”と”graffiti(子どもが描いた落書き)”をくっつけた造語ですが、その活動のスタート地点が「被災地・紛争地・貧困地域」で、子供達の生存と教育を支援する非営利団体と「ふるさとの絵を描く」アート体験会を行うこと。そしてユニゾグラフ®作家は、そこで生まれた「ふるさとの絵」を著作権含めたすべての権利を譲渡してもらった上で、それらを素材にしたアート作品を製作。 次にそのアート作品をデザイン素材として、「子どもの生存・教育」をサポートしたいと考える企業・個人に提案。企業側で商品化したり、オフィスや店舗などで展示、販売し、それを市民が購入する。その流れで生まれたアート作品使用料の20%を、最初に関わった非営利団体の運営資金として還元し、子どものらくがきから生まれたアートの魅力が、国境・民族・宗教すべてを超えて、世界中の大人の元気を支える。これがユニゾグラフ®運動です。 私の立ち上げた一般社団法人ユニゾグラフ藝術研究所は、その運動の企画元として、体験会を企画実施。作品使用料の20%を非営利団体に義援するコアとして機能します。 次回は、この仕組みを使って、具体的にどのようなプロジェクトが生まれたかをご案内したいと思います。   ■ユニゾグラファー ca37 三輪 健郎さん 2016年、子どものらくがきから生まれたアート作品を、ユニゾグラフとして商標登録。子どものらくがきを単なるアート作品でなく、様々な企業がデザイン素材として採用することで、その作品使用料の20%を子どもの生存・教育支援団体に義援。世界中の大人が、被災や貧困や紛争に苦しむ子どもの支援に参加できる仕組みを、アートを通じてプレゼンテーションしている。現在、国画会会友。 2011年に起きた東日本大震災後の7月8月、被災地4ヶ所(福島県南相馬市、宮城県石巻市・蛇田地区、同市・万石浦地区、岩手県大船渡市)にて、被災した子どもたちとふるさとの絵を描く「らくがきアート体験会」を実施。 そこで託された200点余りの子どもたちの絵を素材に20点余りの「ユニゾグラフ®」を制作。その作品を用いてデザインしたカレンダーの販売収益を被災孤児の教育支援に寄付したことから、らくがきを活かした子どもの教育・生活支援活動「ユニゾグラフ運動」開始。 2012年には被災地から生まれたユニゾグラフ2点が、世界的なファッションブランドISSEY MIYAKE MENの2013年度春夏・秋冬コレクションのデザイン素材として採用される。 2013年、2014年、イギリスを拠点としたデジタルアートの国際展 THE LUMEN PRIZEにて世界100選。 2014年、カンボジアにて、子どもの教育支援・地域の生活自立支援を行うNPO法人テラ・ルネッサンスとともに、カンボジアとタイ紛争の舞台となった国境の小学校にて、在校生150名とふるさとの絵を描く体験会を実施。そこで託された絵を素材にした作品が、国際展で入選するなど、日本国内外で精力的な活動を行っている。下町の農と食で地域をつなぐ